長唄 杵徳会の公式ブログです。

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【あのー、反対なんですが】

ニュースで、大阪の岡本太郎の作品「太陽の塔」に、頂上と中央に有る顔の部分をすっぽり覆い、イベントの為に一日間、全く別の作り物をかぶせるということを聞いた。
びっくりした!
例えですが、ピカソの正面向いている部分と横を向いている部分に覆いをかぶせ、一つの大きい目玉を描いて公表しているのと同じ事態が起きているのです。
ピカソの作品にもするのでしょうか?
遺族の方は納得したのでしょうか?
その前に、『ひど〜〜〜い!』
『芸術家』と言われている人の有名な作品を、別なものに作り替えてしまってます。
こんな大事業だから、これを実行した関係者の中には、多少なりとも芸術に関わりの有る人が大勢いたでしょう。
だぁれも異を唱えなかったのですか?
ちょっと、考えられなくて驚愕で、どうしようもなく怒ってしまったのですが、どうなってるのですか?日本人の芸術に対する心は?
それとも、岡本太郎が生前「あとあと、どう使ってもいいよ」とでもいいのこしていたのでしょうか?
なんだか今はものすご〜く悲しく情けなくて、気持ちが虚脱して泣きたいくらいの思いでいるのです

【ついにそこまできたか】

【ついにそこまできたか】
未来の車社会を、みんなが研究している。当然「自動無人運転」に行き着くだろう。
その前段階では、いま運転しているマイカーの「有人自動走行」が具体策として行われて行くだろう。
その、報道される、いま研究している内容を聞くと、運転はますますつまらなくなってゆく方向に発想が向かっている。
初めに考えなければならない事が車間距離の事。
車間を空けろ〜空けろ〜と言うけれど、一体全体、前を走っている車が突然ぴたっと止まってしまうシチュエーションって存在するのだろうか?
前の車が止まるのに100メートルかかるのなら、こちらも100メートルかかるんだから、理論上は1センチでも後ろを走っていれば衝突しない筈である。
勿論、個人の反射神経の相違や車によるブレーキ性能の違いがない仮定の話だし、全くの可能性が無い訳ではないが、そんな可能性より追い越し車線を制定速度で走っている方が危険です。
だから、必要以上に車間距離を空けるのは割り込まれてかえって危ない事の方が重大に思える。
あくまで、正直な現状の話をしています。
だから、警察指導のしかたは間違えている。
今の制限速度のあり方も、速度を設定する人の頭が古いのである。
ひとつのニュースがある。実際に愛知の方で採られたと聞いたニュース。
一般道路の最高速度を実際の速度に合わせて70キロにした所、事故は減り走行も大変スムースになったそうだ。実際に走っている人達の方が実情にそぐわしいのである。
むかし、首都高速が新宿から羽田迄開通した時、たしか時速は70hだったと記憶する。
そして、そのころ、70キロで走行した時「すごい!70キロで走ってるーッ!」と、興奮したものだった。100キロになった時も同じように興奮したが、100キロに慣れると70キロは歩いているようだった。
時速300も出る高性能車を作りながら、速度制限を安全過ぎに設ける段階に設定した時点で、すでに楽しさは激減する。
運転者はむやみやたらと速度を増すのではなくて、自分が安全と思える中での最高速度で走行するものなのだ。
300にしろとは言わない。だけどいま、思い切って100キロ制限を超えても(普通に上手なら150は)大丈夫なのである。
現状の道路の状態と車の性能の格段の向上は100キロ制限は間違いなのである。
『車の運転』とは、安全の基本をしっかり押さえた上で車を操縦すれば、とても楽しく、わくわくする喜びのある文明の機器です。
最近運転している人の中にはそうした心を感じさせない走行をしている割合が増大している。
ただ走らせているだけなのだ。
それだから、危険なのだ。
〈幼稚な運転者も居るから基準値を下の方に設定しないとならない〉と関係者がよくのたまうが、その免許を与えているのが間違いなのではないのか?
我々も、警察が指導している事柄は、普段あまり細かく気に留めずに鵜呑みにして受け取っているから、「安全」の二文字があれば安全なのだと思い込んでいる節が見受けられる。
それゆえ、自動運転に発想の舵が切られると、『安全の上にも安全を』がお題目となり、そのまた更に『安全を』と考えなくてはならなくなる。
これは、メーカー責任を逃れる為と、警察の責任を逃れるためととられてもしかたが無い。
その発想から生まれる『自動』とは、すなはち、車間距離は50キロ走行なら50メートル以上、100キロなら150メートル以上の車間を空けて走行する事になってしまう。カラスが置いた道ばたのクルミなんか検知して避けなくて結構。
そこまでして自分で運転さすこと無いじゃぁありませんか!
そんなバカな事を考えているのなら、思い切って現在の高速道路の分離帯部分からでもいいから、そこに鉄道を走らせて、車を載せて走ってしまえばいっぺんに解決してしまうのでは無いだろうか?
何か、考える方向が間違えているような気がするのは私だけなのだろうか?

【ストレンジャー オブ ライト】

【ストレンジャー オブ ライト】
首都高湾岸線を八景島方面へ走りましたか?大黒埠頭からベイブリッジを通り、本牧を抜けて行きますが、夜など、それはそれは、もう、夜空に浮かぶ明かりの協奏曲。
通る度に「きれ〜い☆キラキラ☆」。
昼間は昼間で、まるで空を飛んでいるさま。レインボーを更に上回り、思わず声に出てしまいます。
「きた〜!未来だ〜!」。バキ\(++)織田裕二か!ならずとも、はしゃぎ、感動する。
普通「感動」と言っても大抵は回を重ねればその度合いも薄れようというものなのに、ここはリフレッシュ。マィノリティー・リポートさながらの未来体験は、色あせる事がなかなかどおして、長い賞味期限です。みなさんも是非そういう思いで一度、いや、幾度も通って見てください。       〇八・十一  F・滝口

杵屋徳衛オリジナル曲 「むさしの」  フルバージョンで公開しました!

杵屋徳衛 オリジナル曲   
http://kinetoku.com/tokueworld.html

むさしの」  フルバージョンで公開しました!


陽が落ちる 野は風が吹く 林は鳴る むさしのは 今暮れ行く 《手事》 道急ぎたまえ 新月こずえに光(かげ)放ち ふいに新たな野に出(いで)し 山は暮れ 《手事》 野は黄昏の すすき 《手事》 よもすがら 木の葉かたよる 音聞けば 忍びに風の 通ふなる

作品の中ではもっとも多く演奏されている珠玉の名曲です。
今回やっとアップロードできました。

みなさまどうぞお楽しみください。

国木田独歩の名作「武蔵野」より、作詞/加倉井秋を。作曲/杵屋徳衛。

欅並木の広がる《むさしの》に赤く大きな夕日がゆったりと沈んで行きます。

山は暮れ、林が鳴ります。私たちは風の妖精なのでしょうか。

林を抜けるとそこには梢に月の光(かげ)がかかっているではありませんか。

まわり一面には「ススキ」が生い茂っています。

私たちも優雅でのびやかにススキの上を駆け回ります。

やがて、十七絃の低い音にリードされて、木々の切れ目あたりから野分(のわき)の風が吹き渡ります。

昭和52年に、武蔵野市が市制30周年記念のために作曲された曲で、同年11月12日に、文化祭の中の総合イベント『フェスティバル・歴史とふるさと』で初演されました。

名曲のいわれの高い曲。ルーマニア国立交響楽団来日の折、演奏後、楽団最高責任者および指揮者からも絶賛。楽譜及び録音テープなどを所望される。


杵屋徳衛 後援会

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